コスモスの花が咲き始めました。秋風に吹かれながら、コスモスを眺めていると、生きていることの幸せを感じます。23日の秋分の日に、コスモスが見たくなり、埼玉県鴻巣市の荒川の河川敷に行ってみました。(鴻巣市と合併する前は、吹上町でした。)久しぶりに暑くなった日でした。車を置いて、河川敷に行きました。祝日でも、暑かったせいか、それほど人は来ていませんでした。とっても広く、下流の方へはどこまでも続く河川敷です。そして、コスモスは、見渡す限り栽培されています。

 ただ、残念ながら、まだ咲き始めたばかりと言う感じでした。何枚か写してみましたが、ここでお見せするような写真ではありませんでした。これだったら、犬の散歩でよく行くところのコスモスの方がいいなと思い、そちらのコスモスを写しに行きました。ただ、こちらは、農家の人が所有する田んぼの一部に蒔いたもののようで、ほんの少しばかりの花です。それでも、満開になっていると、きれいだなと思えました。(花の写真ですので、念のため、花言葉を添えておきます。コスモスとしては、調和、乙女の純真となっていて、また花の色ごとに別々の花言葉があるそうです。)

 私の拙い短歌でも、何首か載せましたが、政府や都道府県がなぜ自宅療養を続けるのかが分かるような新聞記事を目にしました。それは、毎日新聞9月24日の「論点」という欄での、かつての小泉政権の時、総務相などを歴任した竹中平蔵氏の談話です。(記者が、聞き手をしているので、談話としておきます。)その中で、氏は、次のように語っています。「感染しても治療が受けられるようコロナ患者の病床数を増やせば、重症化や死亡のリスクを抑えられる。だが、医師会や厚生労働省など既得権益構造の「厚生ムラ」の抵抗で病床を増やせない。」

 氏の談話に従えば、自宅療養を強いられ、不安や恐怖に襲われている人たち、実際に亡くなってしまった人たちの悲劇は、「厚生ムラ」の抵抗のせいと言うわけです。では、厚生労働省等も抱える政府が、なぜ抵抗をやめさせられないのかと言えば、これまでの医療行政の歴史があり、「やめろ」と言えないわけなのでしょう。何百、何千と言う人たちの生死にかかわる自宅療養という非情な措置がなくならない、減らないのは、そんな事情があるということなのでしょうか。

 政府、厚生労働省、医師会は、日本の国民、ひとりひとりの命を守るために、旧弊を改めてほしいとつくづく思わずにはいられません。

高過ぎて納期遅れりゃ潜水艦キャンセルされるフランスだって

TPP加入を目指す中国は台湾加入許さぬと言う

首相やめのんびりすればいいものをキングメーカー気取りで動く

世襲制わが選挙区も飛び火するせがれの幟やけに目につく

ボートまで当て逃げなどがあったとはどうしてすぐに捕まえないか

残虐な事件詳しく書かれても読む気になれずまして子殺し

他の男父とする子を嫌うなら同居をやめてさっさと出て行け