我が家の庭にある「初雪草」(ハツユキソウ)です。妻が、栽培しています。1枚1枚の葉が、 白で囲まれたようになっていて、まるで初雪が降ったように見えるので、初雪草というのでしょうか。日本では、今は暑すぎて初雪どころではないという感じですが、美しい名前で、納得させてくれる気がします。初雪草は、北アメリカ大陸の原産で、多年草だそうです。ただし、日本では、冬の前には枯れてしまうので、1年草になるそうです。英語では、first snow grass というそうで、まさに、初雪草ですね。初雪草というのに、寒さには弱く、暑さには強いそうです。花言葉は、好奇心、おだやかな生活、祝福などということです。今回は、後の7首に、初雪草を詠んだ短歌も1首入れることにします。

 さて、今回のブログでは、安倍元首相の暗殺、岸田首相の思惑、国葬、警備上の問題等々について書いてみます。

 安倍元首相は、一時、岸田氏を後継者に指名しそうな素振りを見せていた時がありました。自民党内では、支持する議員があまり多くはなかったように見えた岸田氏は、安倍氏の好意を歓迎し、安倍氏にしっかりと付いていこうと決意をしたようでした。しかし、文字通りの「甘言」で、安倍氏は、体調への不安をあげて、2度目の辞任をすると、岸田氏を後継にと仄めかしたことは、全く覚えていないかのように、ずっと官房長官として仕えた菅氏を後継に指名しました。

菅氏は、岸田、河野の二人を大差で破り、まさに挙党体勢とも言うべき中で、自民党総裁、そして首相にと選出されました。長い官房長官時代にも、ほとんど問題点もなく、安倍首相を支えてきた力量から、大きな期待を背負い、首相としての歩みを始めました。ところが、すぐに、日本学術会議の会員候補6名を任命しないことにする、と発表しました。「なぜ6人は任命しないのか」と問われても、「理由は言えない。言えないこともある。」と、答えました。菅首相らしいと評価もされたでしょうが、菅首相の力量に疑問が湧く初めの問題であったと思います。カーボンニュートラル、デジタル庁の設置、携帯料金の値下げ、コロナウイルスへの対応、 そして、東京オリンピック、パラリンピックの開催等と、それなりの成果を上げていきましたが、いかんせん、話せない、答えられない、ということが続きました。(官房長官時の答弁ぶりを見ると、「その指摘は当たらない」、「まったく問題はない」、「仮定の質問には答えられない」などと言うだけの答弁が多く、答弁する力がつかなかったのかも知れません。)そして、国民からの支持、自公両党からの信頼が急速に下がっていきました。また、二階幹事長の動きなども、菅政権への批判へとつながっていきました。

 こうして、安倍元首相の後継者、菅首相は、まさに「四面楚歌」の状態に陥り、党首選にも出られないほどの状態で、去ることになりました。

 このような安倍、菅と、続いて二人の首相が去って行くのを、いちばん喜んだのは、勿論、岸田氏です。しかも、長かったとは言え、様々な問題が次々と起こった安倍政権、短期間の間にやはり問題が続いた菅政権に対して、国民からの不満はかなり高まっていました。こうした情勢にあっては、とにかく問題を起こすことなく、地道に、着実な政治を進めていくのがよいのだと、誰でも思うでしょう。まさに、「話をしっかり聞く」ことができ、あまり余計なことは言わない岸田氏には、最適な情況になったのです。

安倍元首相は、岸田氏の支持はしませんでした。無派閥の高市早苗氏の支持に回ったのです。ただ、麻生派は、岸田支持に回りました。この辺は、国や党の流れを読んでの麻生会長の巧みな方針といえるでしょう。岸田政権の誕生は、ほぼ間違いないという情勢の中では、政権後の自派閥のことを考えるのは、当然のことではあります。自民党の総裁選挙では、4名の候補者中、岸田256票、河野255票となり、どちらも764票の過半数に達していないということで、決戦投票ということになりました。決戦投票は、議員票382+都道府県票47の計429票で行われることになりました。そして、岸田257票、河野170票で岸田氏が勝ちました。こうして、岸田氏が、自民党総裁、第100代首相になることになったのです。

 安倍氏は、岸田首相に注文を付けました。安倍氏と同じ、山口県出身で、参議院議員を辞め、衆議院議員に鞍替えをして当選した、林芳正氏を外相に起用するのはやめてほしいといったというのです。しかし、岸田首相にすれば、かつて甘言を言って、その後全く支持をしてくれない安倍氏の意向を汲む必要はありません。堂々と林氏を外相に起用しました。この林氏(林家)は、安倍氏(安倍家)にとっては、 親の代からの 天敵だったのです。しかも、林氏は、岸田後の首相を狙うと公言しているくらいです。また、安倍氏は、高市幹事長、萩生田官房長官とするよう、岸田首相に詰め寄りましたが、これも、当然のように、岸田首相は受け入れませんでした。

 安倍氏は、かつての所属、清和会に戻ることになりました。そして、細田氏を衆議院議長に送り、自分が派閥会長となり、安倍派としたのです。ただ、この動きに対しては、派内にもかなりの反発が出ていたということです。

 このような情勢の中で、7月8日、安倍元首相は、奈良市内において、演説を始めたばかりで、山上徹也容疑者の銃弾に倒れたのです。そして、午後5時前には、奈良県立医大病院内で、死去したのです。本人も、まさか銃殺されるなどとは思ってもみなかったことでしょう。

 岸田首相は、安倍氏の死をどう受け止めたことでしょう。民主主義への挑戦であり、銃撃は絶対に許せない、と思ったことでしょう。また、ある意味で、政敵でもあった先輩の元首相の死を悼む気持ちも湧いたことでしょう。それらが、同じ政党の元首相が殺された際に、感ずべきことと思います。ただし、世界の歴史を見ると、政治家が何者かに暗殺された場合、何らかの「利益」を受ける政治家が必ず出ることになります。今回の事件では、岸田首相が、その政治家になると思います。これは、あくまでも、偶然のことであり、言うまでもありませんが、岸田首相には何の責任もありません。

 ただし、岸田首相は、逸早く「安倍氏を国葬で弔う」と閣議決定をしました。これは、かなり苦しめられた先輩に対して、逆にその不幸をしっかりと弔おうとする思いとでも言うべきでしょうか。分かるような気がします。(ただし、国葬にすることが、日本の政治史上で、ふさわしいことかどうかは、別問題です。)

 警察の警備上の問題についても触れておきます。事件後は、すぐに、国家公安委員会、警察庁、警視庁、奈良県警等は、「警備上、問題があった。責任を痛感している。」というような声明を出しました。警察庁長官、奈良県警本部長等は、早いうちに、引責辞任か、などと言われていましたが、まだ辞任していません。退職しないで、辞任するというのは、県警本部長の場合等、難しい問題もあると思いますが、その気があれば、組織上は、人事異動ということで、すぐに解決するはずです。急いで辞任することはない、などという考えが出てきたのかも知れません。

 奈良県警なども、まさか銃撃事件が起こるとは考えていなかったでしょう。そのような危険があると考えていれば、もっと、警備方法も工夫したと思います。事件後、時が過ぎていくと、警察の方も、「自分たちに、それほど問題があったわけではない。仕方がなかったのだ。」と。思っているかも知れません。

 警察は、職務上からかも知れませんが、一般的に言って、自分たちのミスを認めない傾向があります。今回の銃撃事件にしても、政府が、もっと厳しく警察の責任を追及していれば、別ですが、現在のような政府の姿勢では、警察庁なども、もう少し様子を見よう、ということになってしまうと思います。

 まあ、極端な話になりますが、政府等も、しっかりと自衛隊や警察を見ていかないと、日本の将来にも、クーデターなどの不安が出てくることにもなりかねないと思います。

暑くともわたしは白い葉を揺らしそよ風を生む枯れ果てるまで

韓国の中央情報部が動き創ったなどと言われる教会

しっかりと選挙手伝う教会を自民が利用するの当然

高額の詐欺商法をすることを知らないはずはないのに自民

警察が暗殺依頼される国犯人逮捕などあり得ない

中国はやがて侵攻するだろう米国ほんとに守るだろうか

プールとは全く違う川や海泳げる子でも危険いっぱい